卓越して光っている、施設と情報、ブログの紹介
癒しのケムズインプルーブメントサロン KMS 大阪堺市の超一級なエステサロン。 芸術的で個性的、ゆきとどいた高級感のあるお店です。スタッフの方々がみな、とてもかわいくて愉快で親切!もちろん技術も丁寧でもうしぶんなしです
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日本香堂のホームページ 高級なお香が売ってる。お部屋の浄化に。
山本皮膚科医院の紹介ページ
ステロイドをつかわず、それと同程度の効き目の、抗生物質のブレンド軟膏をだしてくれます。(現在医院はなくなりました)
http://glog.goroh.net/ 東京恵比寿のインターネット・モバイル広告代理業社長さんのブログ。あらゆる情報の宝庫のような、なんでも百科事典のような。とてもユーモラスでためになります。
たちばな出版|会社案内(半田晴久よりごあいさつ)
大学受験・予備校/学苑長コラム 「みすず学苑」
塾自体すばらしいのですが、塾にいかなくとも、勉強に興味が無くとも、学園町半田氏のコラムは一読の大価値アリ!光ってます。
深見東州(半田晴久)「社会福祉と私」
深見東州(半田晴久)情報発信地
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世界中に愛をワールドメイト=世界的な福祉団体。月2500円の定額制募金を、極貧地域の無料救急病院運営、孤児院、教養施設運営に使ってくれて、その報告をかねた冊子が月に一度送られてくる。
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http://www.love-ai.com/ 日本を代表する西洋占星術家、マドモアゼル愛先生の公式ブログ。
日記とビジネス情報。占いに興味ない人にとっても、ためになるお話がうかがえる。
不登校とフリースクール 不登校と高校・中学 高校を通信制で、6ヶ月で卒業できる方法があることを、最近知りました。いろんな人がいて、いろんな道があったんですね。
http://applechocorate.cocolog-nifty.com/blog/
(最後に、自分のもうひとつのサイト)
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小さなこと、些細なことが、大事です
私はアンテナを張ることが趣味です。
というか、どちらかというとアンテナを鍛えることが趣味かもしれません。
とかく、これは一級品だと勝手に直感したものや、自分の感性や美意識にしっくりくるのものとかにめざとく、次々とあつめてきては、それで身の回りをがっちり固めるという趣味とお遊び。これを意識して一生懸命やっているように思うからです。
なぜそうするか。それには深い理由が、二つあります。
ちょっと、これから真面目に難しく語ってもよいでしょうか?
ひとつは、自分の感性や考え方といったものを、抽出して確定していくためのそうした行動(つまりお遊びですが)は、アンテナを鍛えられる。
そうして鍛えて鋭くなったアンテナは、仕事や人間関係など、他の活動においても応用活用可能なように思うからです。
仕事などでも失敗や回り道がへらせたり、すばやくいいアイデアが浮かんだり、いざというときの判断を正しく下せたりするのではないか?とちょっと期待しているのです。
もちろん好きでついつい、というのもあるのですが。
もうひとつの理由は、
誰と一緒にいて何をするよりも、そうすることが、自分にとって、ほんとうに強くなるための何よりの方法だということに、最近気づいたからです。
そういうわけで、ある時期から、私は特に意識してそれをやるようになったのでした。
これでなぜ、自分が根底から強くなれると私が思うのか、さらに分析してみたのできいてくれますか?
考えてみてください。これだけたくさんのモノや人があふれている中で、ある特定のものに対してだけ直感が働いたり、いいしれぬ感動があったりするのは、なぜでしょう。
自分のアンテナにひっかかった好みのものを集めてきて身の回りを固める、という行為の本質は、きっと、もともと失っていた、あるいは途中で失ったり欠けたりしてしまった自分のかけらを、あちこちからひろいあつめてきて、欠けた場所にはめこんでいるということなのです。
パズルのピースを探してきてあてはめるように。
きっと私は、その行為の持つ完全な癒しの手ごたえたえにはまっているのだと思います。
「癒し」ブームで、いやみで癒し系などと言われるくらい、その言葉にはだれもが食傷しているこのごろですが、「癒し」の本質は、そんな趣味的な感傷的なかわいらしいものではない、と思っています。
なぜなら癒す=たよりなさ、あいまいさ、傷、不安を解消する行動をとること=自分が満たされたと感じる状態になるための行動をとること=充実感を感じる行為=生きがい。
本来は 癒し=生きがいを感じられる行動をとること、 だったのです。
(かなり理屈っぽくてすいません)
だから仕事が癒しの人はほんとに多いと思いますし、人の世話をやくので癒されている人もたくさんいるはずだと思います。
最近、癒しが表面的な言葉のイメージだけで、あんまりバカにされているようで、また、自分もそういう仕事にひかれることもあるので、ちょっとかわいそうになって肩をもってみました。
趣味や好みというものを、たかが趣味や好みだといって軽く考えている方が大半のような気がしています。
趣味や好みの収集に代表される、お金かせぎに役に立たない行動全般を、仕事よりレベルの低いものと考えてないがしろにしている方が一般的なようにも感じます。
しかし。仕事と趣味、仕事と愛情生活、愛情生活と趣味という、仕事とプライベートが、お互いがお互いを助けて力が循環している三角の図式を考えると分かるように、本来、いろんな活動は、すべて対等で切り離せないものなのではないでしょうか。
趣味や愛情生活、これらは、仕事にくらべるとお金儲けにならない、単なる余裕のある人のお遊びに見えます。
しかし実は、自分にとってけっこう本質的で重要なものがひそんでいるのではないかと私は思うのです。
だって仕事ならば、自分の好きな仕事について、しかもそれに最適な労働時間やコンディションで取り組めるような幸福な人ってそう多くないはずですから。
たいていは、好みの仕事につけたとしても、労働時間は長すぎて給料と人間関係が過酷であるとか。
また、何がいいかわからなくて嫌いではないからこれで、とか、家の事情でしかたがなく、とか、ほかの仕事をしたいがなにはともあれ、生活の基盤を崩すわけにはいかないから、など、就職事情や多くの働ける人々の心境は複雑で、妥協や開き直りをせざるをえない方が、大半だったりではないでしょうか。
それに、仕事となった以上は責任が発生するので、好きでとりくんでいても気持ちのどこかに重さと影がでてきて、100パーセント楽しんではできなくなってしまいますしね。
ということでして。
以上、今回私は、これを読まれる方に向けて――趣味と愛情生活など、プライベートの活動などに代表される物事――いわば末端の小さなこと、些細なこと、とおもえることほど、注意する必要があるということを言いたいのです。そして、全ての活動に優劣をつけすぎる傾向を見直してみられることをおすすめしたくて、これを書いたのでした。
だって、大きなことで、小さなことからなりたっていないものはないですから。
会社は、一人ひとりの従業員からできている。一人の人間は、一つ一つのの細胞からなっている。または、手足、目鼻、心臓や胃などの臓器のよりあつまりからなっている。
もし、心臓と脳以外は末端のものだからと軽視して、その一つでもないがしろにすればどうなりますか。社長と専務ではない、末端の平社員だからといって、掃除の人だからといって、そうした働きの人々をないがしろにしてやめられたら、どうなりますか?
全体として存在を維持するのに、致命的なことになりますよね。
会社も、一人の従業員が抜けると稼動できない、できたとしても、ほかにすごくしわよせがいって順調にいかない。
ちょっとわきにそれまして。
とおい友人のだんなさんの職場の人、という、もうほとんど知らない人についての、又聞きの話です。
仕事の取引相手に対して、業務の都合がつかなかったとかで、ほんのちょっとした連絡、報告、説明をおこたった上、注意された時に謝罪しなかったということで、信用を失って多額の仕事をのがした人がいます。
その人は「そんな小さなことくらいで」「こっちにも都合があることを理解しろ」と相手に対して逆切れして、反省していません。
・・・・・
私の周りの人でも、私につながりのある人の職場でも、似たようなことがよくありました。
で、その彼の言い分、正しいようでいて納得できないもやもやがのこるので、また、この事件を分解して考えてみました。
たとえば、自分や同居人が病気や怪我などでちょっと困ったことになったので、仕事をやすまなくてはならなくなった場合。
言うのがつらいからといって職場に報告せず、無断欠勤する人ってあんまりいないですよね。
たとえ伝えるのがつらい都合であったとしても、それでも、できるだけ急いで、そのことと、今後の身の振り方をどうするかきめて、それを職場に電話一本いれて報告するのが普通ですよね。
この彼、会社だから制裁をうけて当然だろうけど、普段の友達同士、家族やパートナーに対しても同じく、こういう失礼はできるだけさけたいものです。仕事じゃないからといって軽く考えてないがしろにするのは、どうかと思う。
だって、「報告、連絡、挨拶、謝罪」それはどこへいってもどんな関係の人に対しても、おろそかにしてはならない、最低限の人間関係のルールであって常識だから。それをしないと相手に不安と不信感をあたえ、こまらせるから。
この彼「やむを得ない都合」のため「不可能」だったといったそうですが、それはうそなのであって、ほんとうの姿は、当然できたはずの小さなことを軽視した「手抜きという不誠実」でしかないと私は思う。
聞けばイエスノーで答えられる程度の、たった30秒でできる簡単で、しかし重要な内容の報告だったのだから。
いくら業務の都合といったところで、そんな秒単位の空き時間すら作れない仕事なんてないですから「都合」なんてお粗末な言い訳、ごまかしにすぎない。
しかし、取引先の方に本格的に怒りを買った部分は、連絡わすれのミスというより、むしろこういう言い訳やその後の対処の悪さにあるだろうと思う。
自分のあやまちを相手からせめられて、あやまるどころか言い訳して、さらに逆切れするとは。
非常に自分本位の甘い考えだし、相手に対して不誠実。礼儀知らずだよな。
しかし、反省しないその人は、自分が同じ目にあうことで思い知るか、もっと困ったことがあってようやく反省するまで、同じことを繰り返すんだろう。
だからこれを聞いて、自分も似たことされたことがあったこと思い出して改めて考えましたが「ちょっとしたこと」が要だなと。
また近頃もしかしてと思うことには、その人の全体像というもの、ちょっとした小さな行動に映し出されているのかもしれないな、ということ。
で、こういう、ささいなことの積み重ねで発展したり、小さな積み重ねである日崩壊したりするんじゃないかと思いました。
・・・・・・
このように、小さなものをないがしろにしたり、軽視する人というのは、ものごとの成り立ちをわかっていない人です。徹底度の低い、つめの甘い人です。
同じく、小さな雑用を放置して目立つことだけに取り組む人は、基本の足元をおそろかにして大事に取り組んで、あとでこまったことになるのです。
しかし、私も気をつけないといけない。
せっかく努力しても、やりのこしたことに、あとで足をひっぱられて、10進んだのに、8戻されてしまったらばかばかしいから。
実は以前、自分も、つめの甘さで後悔したことがあったので・・・。自分へのいましめとしてもこれは書いているんです。
というわけで、これをお読みの方へ。
ちょっとした気遣いや、つい好きでやってしまう小さなお遊び、日々の家事洗濯掃除など。
こんな小さな意味のなさそうなことこそ、注意をして、大事に守りそだてたり真剣にとりくんでみてはいかがでしょう。
そこから何か、今まで見えてこなかったこと、分からなかったことを発見するかもしれません。
逆に、絶対にやらなくてはならない大きな重いことは、意識して楽しんでこなすことを工夫して笑顔でするようにもっていくのが良いですよね。
もしかしたら、単に楽しんでしている行動の中に、今の自分にはわからないけれど、考えもつかなかったような宝が隠れているかもしれませんし、
仕事や家族や友人と同じく、私の人生の一部で、私の構成要素の大事なひとつ、小さなものが寄り集まって、協力しあってようやく成り立っているのが私なのだから。
仕事をやっていく心の支えがプライベートであるし、プライベートを充実させることに仕事が欠かせません。愛情生活を彩り豊かにするために趣味が一役かったりします。
人同士だけでなく、存在するモノ、現象、みんな、お互いつながりあって助け合っているから生きてこられたのです。
この、世界がなりたつ、奇跡のバランスを取り持つ尊い存在のことを、どうかお忘れなく。
そして、そのことに対する感謝の気持ちをつねに忘れずに。
また、そうして、自分の気持ちや意志とは関係なくネットに組み込まれて生かされている私という唯一無二の不思議な存在について。
その尊い現象についてもっとよく自覚し、そして、与えられた限りある時間のことを考え、与えられた自分という個性を深く知ることで、よりよく生かして生きてください。
これが、自分に対して誠意をあらわすということで、まわりを大事にするということがすなわち、自分を大事にする、ということなのではないでしょうか?
次回は、「癒し」と同じくうさんくさく思われがちな、「占い」についてお話します。
では、おやすみなさい。
というか、どちらかというとアンテナを鍛えることが趣味かもしれません。
とかく、これは一級品だと勝手に直感したものや、自分の感性や美意識にしっくりくるのものとかにめざとく、次々とあつめてきては、それで身の回りをがっちり固めるという趣味とお遊び。これを意識して一生懸命やっているように思うからです。
なぜそうするか。それには深い理由が、二つあります。
ちょっと、これから真面目に難しく語ってもよいでしょうか?
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そうして鍛えて鋭くなったアンテナは、仕事や人間関係など、他の活動においても応用活用可能なように思うからです。
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もうひとつの理由は、
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そういうわけで、ある時期から、私は特に意識してそれをやるようになったのでした。
これでなぜ、自分が根底から強くなれると私が思うのか、さらに分析してみたのできいてくれますか?
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なぜなら癒す=たよりなさ、あいまいさ、傷、不安を解消する行動をとること=自分が満たされたと感じる状態になるための行動をとること=充実感を感じる行為=生きがい。
本来は 癒し=生きがいを感じられる行動をとること、 だったのです。
(かなり理屈っぽくてすいません)
だから仕事が癒しの人はほんとに多いと思いますし、人の世話をやくので癒されている人もたくさんいるはずだと思います。
最近、癒しが表面的な言葉のイメージだけで、あんまりバカにされているようで、また、自分もそういう仕事にひかれることもあるので、ちょっとかわいそうになって肩をもってみました。
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しかし。仕事と趣味、仕事と愛情生活、愛情生活と趣味という、仕事とプライベートが、お互いがお互いを助けて力が循環している三角の図式を考えると分かるように、本来、いろんな活動は、すべて対等で切り離せないものなのではないでしょうか。
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・・・・・・
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その尊い現象についてもっとよく自覚し、そして、与えられた限りある時間のことを考え、与えられた自分という個性を深く知ることで、よりよく生かして生きてください。
これが、自分に対して誠意をあらわすということで、まわりを大事にするということがすなわち、自分を大事にする、ということなのではないでしょうか?
次回は、「癒し」と同じくうさんくさく思われがちな、「占い」についてお話します。
では、おやすみなさい。
テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体
占星術と私
ここ5年ほど、今ではもうやりつくしてしまって離れましたが、凝りに凝って「癒され」ていたというものを紹介します。「占い」です。
よさそうな占いサイトを片っ端から試して、的中率と占断文章の素晴らしいものを選びだしてお気に入り登録することが習慣となっていました。
それが高じてこのたび、このサイトを完成させる運びとなりました。
そのせいで、ここしばらくで私の自室の本棚には急激にうさんくさい本が並び、これに寄り添うように、私自身もいつのまにか要注意人物になってしまったような気がします(泣)。
うさんくさい本がびっしりならんだ本棚を目前にして、まさか私がこんなふうになるなんて思いもしなかった・・・と感慨深いです。
だからほんとに人生ってわからないものですね。
年月は人をおそろしくかえるものですね。
しかし、このために一体いくらつぎこんだことか・・・はっきりいって常識をこしていると自分でも思っていて、だから人にはとても言えません。
なので、ひょっとして自分はどこかが常識はずれで可笑しいのではないか?と近頃、急に不安を感じるようになりまして、以前よりかなり注意深く自己点検を怠らないようになったのはありがたいことではありますが。
しかし、損したとはぜんぜん思っていなくて、やはりつぎこんだだけ、得たものはかけがえなかったですし、いろんな占いには、大変お世話になりました。と、この場をかりてお礼を言わなくてはならないほどです。
***
たとえば、足の悪い人の杖、目の悪い人のめがねのように、かつてのある時期の私にとって、占いとのかかわりは、誰よりも何よりも必要なものでした。
占いなくして今の自分は存在し得ないといって過言ではありません。
心の支えや道案内の標識、暗い道でのたいまつとなって、私を癒し導き守ってくれた、かけねなく大事なものだったのです。
占いの中でも特に、西洋占星術との出会いは、その時の私と今の私が、今後健全に育っていくために、どうしても順番として避けてとおれないものでした。
そういうわけで、わたしにとって西洋占星術というツールは、今となっては趣味や好き嫌いという感情的な次元をこえ、私の中で硬い骨となって存在し切り離すことが不可能なものとなっています。
***
人はみなそれぞれ現実的な都合があって24時間自分のためにいてくれる他人はいないですし、時間的に都合が合っても自分の気分と向こうの気分が一致しているときってそうそうないですよね。
だから、何でも話して、といわれても、現実には友達や身内や職場の人には、いついつでも話しかけるわけにいかないものです。
そうでなくとも。
もし人の都合がゆるしても、また人が私をゆるしてくれたとしても。
それよりもっと問題になるのは、自分が自分をどう感じるか。どう動かすか。そして私自身が私をゆるすことができるのか、ですよね。
その時、よく疑問に思っていたのが、人々の感じ方の違い、考え方の違い、気力の大小という「個人差」がどこからきているのか、ということ。
気力がなかったら、五体満足でも何もできませんよね。
また、五体満足でも欠点ばかり一日中気にしている人は不幸だし、
五体不満足でも、口に絵筆をもって我を忘れて絵を描き、展覧会を催して人を笑顔で励ますようなパワフルな人は、まちがいなく幸せな人です。
ふとした瞬間の物事の捕らえ方と、気づきと、気力の大小。
これって一体どこからくるのでしょう?考えてみれば不思議ですよね。
それにはっきりと答えてくれたのが、西洋占星術による宿命解析と、深見東洲氏の本による輪廻転生や魂、前世などの概念を取り入れた思考方法でした。
■深見東州氏のすばらしい本と福祉活動が世界中に広がることを、心より願っております、紹介ページはこちら→
占いとかかわることで、私は無形の財産―― ボキャブラリー、洞察力、類推力、愛情、心の豊かさなど―― をたくさんもらったと思っています。
そのおかげで、混沌としていた頭と心の中が整理されて一本筋が通り、明晰になりました。自分の骨組みがしっかりしたと実感しています。
***
しかし、占いと一口にいっても、ほんとうにたくさんあるものです。
一部のジャンル名を挙げるだけでも、カバラ数秘術、曜日占い、ケルト暦占星術、マヤ暦占星術、西洋占星術、四柱推命、紫微斗数姓名判断、小惑星占星術、タロットetc・・・ <私の占いサイト>
たくさんありますので、わかりやすくジャンル分けしています。一度訪れて遊んでみてください。
集めたものは私が開発した独自の占いではなく、人様のものですので、あまり大きな我が物顔でいえないのですが・・・しかし。
試行錯誤して集めてきたこの占い、すべて、実にすばらしいものばかりです。
監修の先生方には心より尊敬し、感謝申し上げます。
先生方を支援するつもりでもあり、また、これらを使うことで、だれかが、より豊かな人生を送ってくださり、楽しんでもらえることを願っています。
akari
よさそうな占いサイトを片っ端から試して、的中率と占断文章の素晴らしいものを選びだしてお気に入り登録することが習慣となっていました。
それが高じてこのたび、このサイトを完成させる運びとなりました。
そのせいで、ここしばらくで私の自室の本棚には急激にうさんくさい本が並び、これに寄り添うように、私自身もいつのまにか要注意人物になってしまったような気がします(泣)。
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だからほんとに人生ってわからないものですね。
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たとえば、足の悪い人の杖、目の悪い人のめがねのように、かつてのある時期の私にとって、占いとのかかわりは、誰よりも何よりも必要なものでした。
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心の支えや道案内の標識、暗い道でのたいまつとなって、私を癒し導き守ってくれた、かけねなく大事なものだったのです。
占いの中でも特に、西洋占星術との出会いは、その時の私と今の私が、今後健全に育っていくために、どうしても順番として避けてとおれないものでした。
そういうわけで、わたしにとって西洋占星術というツールは、今となっては趣味や好き嫌いという感情的な次元をこえ、私の中で硬い骨となって存在し切り離すことが不可能なものとなっています。
***
人はみなそれぞれ現実的な都合があって24時間自分のためにいてくれる他人はいないですし、時間的に都合が合っても自分の気分と向こうの気分が一致しているときってそうそうないですよね。
だから、何でも話して、といわれても、現実には友達や身内や職場の人には、いついつでも話しかけるわけにいかないものです。
そうでなくとも。
もし人の都合がゆるしても、また人が私をゆるしてくれたとしても。
それよりもっと問題になるのは、自分が自分をどう感じるか。どう動かすか。そして私自身が私をゆるすことができるのか、ですよね。
その時、よく疑問に思っていたのが、人々の感じ方の違い、考え方の違い、気力の大小という「個人差」がどこからきているのか、ということ。
気力がなかったら、五体満足でも何もできませんよね。
また、五体満足でも欠点ばかり一日中気にしている人は不幸だし、
五体不満足でも、口に絵筆をもって我を忘れて絵を描き、展覧会を催して人を笑顔で励ますようなパワフルな人は、まちがいなく幸せな人です。
ふとした瞬間の物事の捕らえ方と、気づきと、気力の大小。
これって一体どこからくるのでしょう?考えてみれば不思議ですよね。
それにはっきりと答えてくれたのが、西洋占星術による宿命解析と、深見東洲氏の本による輪廻転生や魂、前世などの概念を取り入れた思考方法でした。
■深見東州氏のすばらしい本と福祉活動が世界中に広がることを、心より願っております、紹介ページはこちら→
占いとかかわることで、私は無形の財産―― ボキャブラリー、洞察力、類推力、愛情、心の豊かさなど―― をたくさんもらったと思っています。
そのおかげで、混沌としていた頭と心の中が整理されて一本筋が通り、明晰になりました。自分の骨組みがしっかりしたと実感しています。
***
しかし、占いと一口にいっても、ほんとうにたくさんあるものです。
一部のジャンル名を挙げるだけでも、カバラ数秘術、曜日占い、ケルト暦占星術、マヤ暦占星術、西洋占星術、四柱推命、紫微斗数姓名判断、小惑星占星術、タロットetc・・・ <私の占いサイト>
たくさんありますので、わかりやすくジャンル分けしています。一度訪れて遊んでみてください。
集めたものは私が開発した独自の占いではなく、人様のものですので、あまり大きな我が物顔でいえないのですが・・・しかし。
試行錯誤して集めてきたこの占い、すべて、実にすばらしいものばかりです。
監修の先生方には心より尊敬し、感謝申し上げます。
先生方を支援するつもりでもあり、また、これらを使うことで、だれかが、より豊かな人生を送ってくださり、楽しんでもらえることを願っています。
akari
占いの本質と効用・公開編
一般に占いは、そのイメージから、曖昧で神秘的な、あてにならないうさんくさいものと誤解されています。
しかし、ちょっと知ると、本質はイメージとぜんぜん違うということがよく分かってきます。
では占いの本質とはなにか。
特に「西洋占星術」に代表される、生まれた瞬間の星の配置で個人の命運を解析する、各種占星術は、古代の大変正統派の学問であると私は強く実感しています。
自己流にこれを成分分析をしますと、天文学に、数学と物理学、それに倫理、哲学に宗教と神秘学のまざったような感じ。
もっと簡単には、科学と宗教と哲学と不思議を足して割ったもの。
感覚的な言葉にいいかえますと「天の目線であり、運命学である」。
では、天の目とはなにか。
これは、過去も未来もすべて見通している、上空に住む大きな人が見下ろしているのような、くもりのない大きな視点のことで、
自分の思い込みを排除した純粋な真実を見せてくれるもの。
天の目線は、自分の小さな視野では判断のつけにくいもの――病気と個性、宿命と時期的なものを見分けてくれます。
自分では本当のことなのか、思い込みなのか、見分けのつかないことについても、占星術は、はっきりとこたえてくれます。
たとえば、適性や才能、弱点、運勢傾向など。
これらを知ることで、人は、磨いて売りにすべきところとあきらめるべきところ、改善あるいはでないように注意すべきところの、つまり白黒がはっきりします。よって努力の方向性が明晰になり、迷いが少なくなり、エネルギーの浪費をおさえることができます。事前に心構えや用意ができます。
ちなみに、タロットに代表される卜占を、単なる神秘主義の不思議現象ではないと言いきるために、ここで江原啓之さんの造語をお借りします。
「偶然は必然」。
では、運命学とはなにか。
よりよく生きるための学問である。
ある体系や方程式を用いて、過去の膨大な統計のデータのすべてから、自分個人の情報を抽出して、よりよく生きるためにそれを活用すること。
と私は勝手に感覚で思い込んでいますが、本当のところはどうなのでしょうか。
では、運命学としての、占いのかなりいい使い方を紹介します。
これは、なんでも自分がしょいこみやすい人に向けてのことですが、
たとえば、自分の悪い行い、うけいれがたい悲しい事件、おもうようにいかない不満などを、星のせいにしてしまう。
あの時、ああなったけれど、あれは、おこるべくしておこったさけられない出来事だったのであって、
私も相手もわるくなかったんだ。そういう星の配置であったし、もうあらかじめ決まっていたことだったのだから。
というふうに。
しかし、この理由だけではまだ、片手落ちであると思われるかもしれません。ちょっと考えるともうひとつ疑問がわきます。たとえば。
人の、個性や考え方の違い、気力体力能力などの大小、運不運の差をつくりだす原因は、この世に誕生した瞬間、その時間と場所にあることはわかった。
でも。
だったらなぜ、自分はなぜ、そんな生年月日時間の、そのような星の配置の下に生まれたのか?という、もっと根源的な疑問が。
これにたいする答えですが、これは私が縁あった神霊家に教えていただいた内容をそのまま書くことにします。前向きな考え方、ではなく、絶対的な真実であろうと実感できます。以下に5行ほど述べます(くわしくは深見東州氏の著書にて)
なぜ私は私としてうまれたのか?という根源的な疑問に対する、唯一無二の真実の答えイコール、
「前世のいい行い、悪い行い、努力の分量、などをプラスマイナス決算して、それに見合った星回りの年月日時と家庭環境を自分で選んで生まれてくる」。
深見先生には、また、こういう真実も教わりました。
うれしいことにもかなしいことにも、どんなことも、意味があって起こった出来事。
だから苦しみは、たんなるくじ運の悪さではない。
私が苦しんでいること、考えていることすべて承知の上でわざと、私だからと見込まれて与えられている試練なのだ。
おそらくは、天が、私を厳しく鍛えてそれから何かを悟らせ内面的に成長させるために。
もしくは、いつか、覚えのないくらいの昔、たとえば前世に、自分のした悪い行いの罪つぐないを今やっているのだ。
覚えていないが自分のまいた種を今、刈り取っているのだ。無形の借金を返していっているのだ。
これらをよく自覚して、不満をいわず、甘んじてこの現状を受けいれてやっていかなくてはならない。
できることなら、悲しんだり恨んだりするのはやめて、この出来事やこの状況から何かを学びとって成長しなければならない。
というふうに・・・・。
いままでの話はすべて、一般に誤解されがちな、占いや神霊世界の話、宗教的な考え方について、私が肩入れして弁解するような内容でありましたが、
私が、これらを非常に支持して広まることを応援している理由は、私自身が関わりをもったことでかなりの実際的な恩恵をこうむった経験があるからです。
***
古代においては、政治の中枢として、戦争では主要な道具として活用されていたという、先人の知恵の結晶である、宗教と占い。
これら運命学は、現代においては、個人単位の政治のためにうまく利用することに活路があるのでしょう。先天的な自分の真実を知る唯一のツール、今世での自己修養の方向性を示した地図として利用するために。
***
本の紹介3 未来事典―3年後の私がわかるサビアン占星術
買ったきっかけ:
西洋占星術を勉強しはじめてしばらくたって本屋さんで見つけた。サビアンというのがめずらしいとおもったし、わかりやすそうだった。
感想:
自分に関係ない人のページまで夢中になって読むよど、おもしろくて深くて的をついてます。文章がとてもいい。従来12星座占いというのがありますが、これは簡単に言うと360星座占いです。ゆえにその微妙さ細密さ、的確さはすばらしいものがあります。
また、ほんとにそのとおりのことがまがいなくおこるので大宇宙の神秘を感じます。
おすすめポイント:
占断の簡単さと、的中率、文章の醍醐味。すべての西洋占星術に応用可能なこと。
しかし、ちょっと知ると、本質はイメージとぜんぜん違うということがよく分かってきます。
では占いの本質とはなにか。
特に「西洋占星術」に代表される、生まれた瞬間の星の配置で個人の命運を解析する、各種占星術は、古代の大変正統派の学問であると私は強く実感しています。
自己流にこれを成分分析をしますと、天文学に、数学と物理学、それに倫理、哲学に宗教と神秘学のまざったような感じ。
もっと簡単には、科学と宗教と哲学と不思議を足して割ったもの。
感覚的な言葉にいいかえますと「天の目線であり、運命学である」。
では、天の目とはなにか。
これは、過去も未来もすべて見通している、上空に住む大きな人が見下ろしているのような、くもりのない大きな視点のことで、
自分の思い込みを排除した純粋な真実を見せてくれるもの。
天の目線は、自分の小さな視野では判断のつけにくいもの――病気と個性、宿命と時期的なものを見分けてくれます。
自分では本当のことなのか、思い込みなのか、見分けのつかないことについても、占星術は、はっきりとこたえてくれます。
たとえば、適性や才能、弱点、運勢傾向など。
これらを知ることで、人は、磨いて売りにすべきところとあきらめるべきところ、改善あるいはでないように注意すべきところの、つまり白黒がはっきりします。よって努力の方向性が明晰になり、迷いが少なくなり、エネルギーの浪費をおさえることができます。事前に心構えや用意ができます。
ちなみに、タロットに代表される卜占を、単なる神秘主義の不思議現象ではないと言いきるために、ここで江原啓之さんの造語をお借りします。
「偶然は必然」。
では、運命学とはなにか。
よりよく生きるための学問である。
ある体系や方程式を用いて、過去の膨大な統計のデータのすべてから、自分個人の情報を抽出して、よりよく生きるためにそれを活用すること。
と私は勝手に感覚で思い込んでいますが、本当のところはどうなのでしょうか。
では、運命学としての、占いのかなりいい使い方を紹介します。
これは、なんでも自分がしょいこみやすい人に向けてのことですが、
たとえば、自分の悪い行い、うけいれがたい悲しい事件、おもうようにいかない不満などを、星のせいにしてしまう。
あの時、ああなったけれど、あれは、おこるべくしておこったさけられない出来事だったのであって、
私も相手もわるくなかったんだ。そういう星の配置であったし、もうあらかじめ決まっていたことだったのだから。
というふうに。
しかし、この理由だけではまだ、片手落ちであると思われるかもしれません。ちょっと考えるともうひとつ疑問がわきます。たとえば。
人の、個性や考え方の違い、気力体力能力などの大小、運不運の差をつくりだす原因は、この世に誕生した瞬間、その時間と場所にあることはわかった。
でも。
だったらなぜ、自分はなぜ、そんな生年月日時間の、そのような星の配置の下に生まれたのか?という、もっと根源的な疑問が。
これにたいする答えですが、これは私が縁あった神霊家に教えていただいた内容をそのまま書くことにします。前向きな考え方、ではなく、絶対的な真実であろうと実感できます。以下に5行ほど述べます(くわしくは深見東州氏の著書にて)
なぜ私は私としてうまれたのか?という根源的な疑問に対する、唯一無二の真実の答えイコール、
「前世のいい行い、悪い行い、努力の分量、などをプラスマイナス決算して、それに見合った星回りの年月日時と家庭環境を自分で選んで生まれてくる」。
深見先生には、また、こういう真実も教わりました。
うれしいことにもかなしいことにも、どんなことも、意味があって起こった出来事。
だから苦しみは、たんなるくじ運の悪さではない。
私が苦しんでいること、考えていることすべて承知の上でわざと、私だからと見込まれて与えられている試練なのだ。
おそらくは、天が、私を厳しく鍛えてそれから何かを悟らせ内面的に成長させるために。
もしくは、いつか、覚えのないくらいの昔、たとえば前世に、自分のした悪い行いの罪つぐないを今やっているのだ。
覚えていないが自分のまいた種を今、刈り取っているのだ。無形の借金を返していっているのだ。
これらをよく自覚して、不満をいわず、甘んじてこの現状を受けいれてやっていかなくてはならない。
できることなら、悲しんだり恨んだりするのはやめて、この出来事やこの状況から何かを学びとって成長しなければならない。
というふうに・・・・。
いままでの話はすべて、一般に誤解されがちな、占いや神霊世界の話、宗教的な考え方について、私が肩入れして弁解するような内容でありましたが、
私が、これらを非常に支持して広まることを応援している理由は、私自身が関わりをもったことでかなりの実際的な恩恵をこうむった経験があるからです。
***
古代においては、政治の中枢として、戦争では主要な道具として活用されていたという、先人の知恵の結晶である、宗教と占い。
これら運命学は、現代においては、個人単位の政治のためにうまく利用することに活路があるのでしょう。先天的な自分の真実を知る唯一のツール、今世での自己修養の方向性を示した地図として利用するために。
***
本の紹介3 未来事典―3年後の私がわかるサビアン占星術
買ったきっかけ:
西洋占星術を勉強しはじめてしばらくたって本屋さんで見つけた。サビアンというのがめずらしいとおもったし、わかりやすそうだった。
感想:
自分に関係ない人のページまで夢中になって読むよど、おもしろくて深くて的をついてます。文章がとてもいい。従来12星座占いというのがありますが、これは簡単に言うと360星座占いです。ゆえにその微妙さ細密さ、的確さはすばらしいものがあります。
また、ほんとにそのとおりのことがまがいなくおこるので大宇宙の神秘を感じます。
おすすめポイント:
占断の簡単さと、的中率、文章の醍醐味。すべての西洋占星術に応用可能なこと。
![]() | 未来事典―3年後の私がわかるサビアン占星術 (2002/11) 松村 潔 商品詳細を見る |
占いの本質と効用・私的編
一般に占いは、そのイメージから、曖昧で神秘的な、あてにならないうさんくさいものと誤解されています。
しかし、ちょっと知ると、本質はイメージとぜんぜん違うということがよく分かってきます。
占いの中でも特に、うまれた瞬間の宇宙の星星の配置、相互関係によって個人の宿命と素質、運命を解析する類の各種占星術は、古代の、大変正統派の学問だという実感があります。
勝手に占星術の成分分析をしますと、占星術=天文学、数学、倫理、哲学、神秘学、物理学を足したような感じ、でしょうか。
もっと簡単には、科学と宗教と哲学と不思議を足して割ったようなもの。
そして、タロットに代表される卜占を、単なる神秘主義の不思議現象ではないと言いきるため、ここで江原啓之さんの有名なおことばをおかりして「偶然は必然」。
占星術とかかわることで、私は無形の財産― ボキャブラリー、洞察力、類推力、愛情、心の豊かさなど― をたくさんもらったと思っています。
***
私には、私がこの世に存在するという事実にたいして、不信感と嫌悪感と疑問しか抱けなかった長い時期がありました。
この日本という土地の、この家のこの両親のもとに、私という個性をもって生まれなくてはならなかったことに、苦痛と違和感しか感じられなかったし、どうしても納得がいかなかったのです。
日本をみわたしてみても疑問はたくさんあった。
十分な財産と教育を受けながら犯罪者になってしまう人と、生まれながらにして孤児であり、愛情も、人並みの教育も資産にも恵まれなかったのに、それをばねにのし上がる人の違い。
人が育ってゆき、運命の分かれ道といわれるところにきたとき、たいがいだれもが本人の熟考やまたは好みで道を選ぶが、それが正しい結果となる人と悲しい結果となる人がいますよね。
その人が好んだものがだれから見ても人道的でないとした場合ならば、一般的には運が悪いとはいわず、本人が悪いといわれる。
でも、ちょっと考えればわかることだけれど、失敗したくて嫌われたくて悪くなりたくて生きてる人なんかいないはずですよね。だれもが正しいことをして人に好かれたいし成功したい。
思うに本当のところ人間はみんな、感情だけで生きています。
成功する人も失敗する人も、だれもが、あることをひらめいたり行動に移すときには、そうせざるをえない衝動やそうはしたくないという「単なる感情」に勝てなくて行動に移したり移さなかったりしているだけです。
それ以外にしようがないという風な外と内の強制執行力はしかたないとして、そのほかは、単なる自分の好みで選択・無視を繰り返していった結果として今の自分があって、気がついたらいつのまにかそうなってしまっていた。
というのが、全人類に共通する今ある自分の言い訳であり真実であるはずです。結果として成功者と不幸な人があらわれるだけ。
ならばその人が自分を不幸にするようなものを好みとしてもってしまっているという、人としての素質の不公平はいったい誰に文句をいったらいいんだろう?このかわいそうな人をどうしてやったらいいのだろう?
なぜある人は自分を破壊するものを好んでそれゆえに失敗し人から嫌われ、ある人は自分と他人をよろこばすものを好み、それゆえに自然と愛されて幸せになるという不公平があるのだろう。
だから一般に極悪人といわれる人種は、本当のところは、最低レベルのところで生きている、救いようの無い、かわいそうな人なのではないかと思うのです。
また、五体満足なのに臆病で不満ばかり言ってなにもしない宝の持ち腐れの人と、五体不満足なのに、口に絵筆をもって素晴らしい絵をかいて展覧会を催して笑顔で人を励ます人の違い。
また、人の運命は目標の設定と前向きな性格と努力の割合で決まるのは当たり前のことだが、それならば、もともと自信家でやる気いっぱいの人と、どうしても目標も自信も持てず、やる気のでない人の差は。
性格というもの、親からそうなりなさい、こういう風に考えなさい、こういうものを好きになりなさいといって矯正されたり努力してなったわけじゃない。気がついたらこうだった。
目標設定できた人のその理由というのも、ある日のひらめきと確信があったから、そこから努力しはじめて、というのが大半で、無い人は一生懸命みつけようとしたって決めようとしたってどうしてもできないものなのだ。
努力を継続することのできる気力の大小や根気のあるなし、人に気に入られる性格のよさ、目標を決められるというある日のひらめきと根拠の無い確信などの無形の財産。
こうした、生まれながらの素質の差、まちがいのない方向へ舵を取ることのできる判断力やいいほうへ私を引っ張ってくれる周りの助け。
これら無形の財産は一体どこからやってくるのだろうか。
世界を見渡してみても不条理で納得いかないことばかりだった。
テレビに出ている外見にも才能にも財産にも恵まれた人と、貧しい地域に生まれて十分な食事も医療もないところで、単に苦しんで死んでいく子供たちの違い。才能の発揮や愛し愛されるどころではない。
「生まれながらの不公平」、私は、これを単なる運の悪さとして、どうしても受け入れがたかった。
たまたまにしてはひどすぎるんじゃないか?
どうして、あの人と私は、素質も外見も家庭環境もこんなにも違うのか。
なぜ、同じように育てられて兄弟はこんなにも違うのか。
そもそも、生まれないという選択はできなかったのか?
私が私として生まれなくてはならなかった理由を、だれか納得いくように説明してほしい。
物質的に有利な環境についてだけでなく、周りの助けや運のよさ、ある日の将来のビジョンのひらめき、本人の気力能力など、無形の財産をふくめて、持っている人と持っていない人の差が存在する理由と原因を、私が心から納得するような言葉で理屈でもって、だれかどうか教えてほしい。
気休めのプラス思考ではなく「ほんとうの真実」を教えてほしい。
そんなことを、その時の私は、心のそこから願いつづけていたのでした。
そうして。
さんざんさまよったあげく出会ったのが、深見東州先生の本と、西洋占星術で得られる宿命と運命の解析だったのです。<紹介ページ>
この2つは、非常に明快に私の求めた真実の答えをくれました。
そのおかげで、混沌としていた頭と心の中が整理されて一本筋が通り、明晰になりました。自分の骨組みがしっかりしたと実感しています。
→おせわになった無料占い集のページ
***
本の紹介3 未来事典―3年後の私がわかるサビアン占星術
買ったきっかけ:
西洋占星術を勉強しはじめてしばらくたって本屋さんで見つけた。サビアンというのがめずらしいとおもったし、わかりやすそうだった。
感想:
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また、ほんとにそのとおりのことがまがいなくおこるので大宇宙の神秘を感じます。
おすすめポイント:
占断の簡単さと、的中率、文章の醍醐味。すべての西洋占星術に応用可能なこと。
ですので、これからはお礼のかわりに「おせわになった占い」を、わたしのもう一つのブログにて紹介していきたいと思います。
しかし、占いと一口にいっても、ほんとうにたくさんの種類があるものです。
一部のジャンルをあげるだけでも、カバラ数秘術、曜日占い、紫微斗数姓名判断、マヤ暦、ケルト暦、インド占星術、西洋占星術、四柱推命、・・・・
集めたものは私が開発した独自の占いではなく、人様のものですので、あまり大きな我が物顔でいえないのですが・・・しかし。
試行錯誤して集めてきたこの占い、すべて、実にすばらしいものばかりです。
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先生方を支援するつもりでもありますし、また、これらを使うことで、だれかが、より豊かな人生を送ってくださり、楽しんでもらえることを願っています。 akari
<迷うならこちらへどうぞ。優秀な有料・無料の占いを厳選して紹介しています>
しかし、ちょっと知ると、本質はイメージとぜんぜん違うということがよく分かってきます。
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もっと簡単には、科学と宗教と哲学と不思議を足して割ったようなもの。
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占星術とかかわることで、私は無形の財産― ボキャブラリー、洞察力、類推力、愛情、心の豊かさなど― をたくさんもらったと思っています。
***
私には、私がこの世に存在するという事実にたいして、不信感と嫌悪感と疑問しか抱けなかった長い時期がありました。
この日本という土地の、この家のこの両親のもとに、私という個性をもって生まれなくてはならなかったことに、苦痛と違和感しか感じられなかったし、どうしても納得がいかなかったのです。
日本をみわたしてみても疑問はたくさんあった。
十分な財産と教育を受けながら犯罪者になってしまう人と、生まれながらにして孤児であり、愛情も、人並みの教育も資産にも恵まれなかったのに、それをばねにのし上がる人の違い。
人が育ってゆき、運命の分かれ道といわれるところにきたとき、たいがいだれもが本人の熟考やまたは好みで道を選ぶが、それが正しい結果となる人と悲しい結果となる人がいますよね。
その人が好んだものがだれから見ても人道的でないとした場合ならば、一般的には運が悪いとはいわず、本人が悪いといわれる。
でも、ちょっと考えればわかることだけれど、失敗したくて嫌われたくて悪くなりたくて生きてる人なんかいないはずですよね。だれもが正しいことをして人に好かれたいし成功したい。
思うに本当のところ人間はみんな、感情だけで生きています。
成功する人も失敗する人も、だれもが、あることをひらめいたり行動に移すときには、そうせざるをえない衝動やそうはしたくないという「単なる感情」に勝てなくて行動に移したり移さなかったりしているだけです。
それ以外にしようがないという風な外と内の強制執行力はしかたないとして、そのほかは、単なる自分の好みで選択・無視を繰り返していった結果として今の自分があって、気がついたらいつのまにかそうなってしまっていた。
というのが、全人類に共通する今ある自分の言い訳であり真実であるはずです。結果として成功者と不幸な人があらわれるだけ。
ならばその人が自分を不幸にするようなものを好みとしてもってしまっているという、人としての素質の不公平はいったい誰に文句をいったらいいんだろう?このかわいそうな人をどうしてやったらいいのだろう?
なぜある人は自分を破壊するものを好んでそれゆえに失敗し人から嫌われ、ある人は自分と他人をよろこばすものを好み、それゆえに自然と愛されて幸せになるという不公平があるのだろう。
だから一般に極悪人といわれる人種は、本当のところは、最低レベルのところで生きている、救いようの無い、かわいそうな人なのではないかと思うのです。
また、五体満足なのに臆病で不満ばかり言ってなにもしない宝の持ち腐れの人と、五体不満足なのに、口に絵筆をもって素晴らしい絵をかいて展覧会を催して笑顔で人を励ます人の違い。
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性格というもの、親からそうなりなさい、こういう風に考えなさい、こういうものを好きになりなさいといって矯正されたり努力してなったわけじゃない。気がついたらこうだった。
目標設定できた人のその理由というのも、ある日のひらめきと確信があったから、そこから努力しはじめて、というのが大半で、無い人は一生懸命みつけようとしたって決めようとしたってどうしてもできないものなのだ。
努力を継続することのできる気力の大小や根気のあるなし、人に気に入られる性格のよさ、目標を決められるというある日のひらめきと根拠の無い確信などの無形の財産。
こうした、生まれながらの素質の差、まちがいのない方向へ舵を取ることのできる判断力やいいほうへ私を引っ張ってくれる周りの助け。
これら無形の財産は一体どこからやってくるのだろうか。
世界を見渡してみても不条理で納得いかないことばかりだった。
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なぜ、同じように育てられて兄弟はこんなにも違うのか。
そもそも、生まれないという選択はできなかったのか?
私が私として生まれなくてはならなかった理由を、だれか納得いくように説明してほしい。
物質的に有利な環境についてだけでなく、周りの助けや運のよさ、ある日の将来のビジョンのひらめき、本人の気力能力など、無形の財産をふくめて、持っている人と持っていない人の差が存在する理由と原因を、私が心から納得するような言葉で理屈でもって、だれかどうか教えてほしい。
気休めのプラス思考ではなく「ほんとうの真実」を教えてほしい。
そんなことを、その時の私は、心のそこから願いつづけていたのでした。
そうして。
さんざんさまよったあげく出会ったのが、深見東州先生の本と、西洋占星術で得られる宿命と運命の解析だったのです。<紹介ページ>
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感想:
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また、ほんとにそのとおりのことがまがいなくおこるので大宇宙の神秘を感じます。
おすすめポイント:
占断の簡単さと、的中率、文章の醍醐味。すべての西洋占星術に応用可能なこと。
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テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体




